劇場版しまじろうのわお!しまじろうと にじのオアシス 55点

「劇場版しまじろうのわお!しまじろうと にじのオアシス」は話の起承転結が明快であり、メタ発言もよく効いている。ただし、本編以外の実写部分には極めて無駄が多い。

本作は上映中に大きな声を出してもいいこと、泣いている子供がいたら優しく見守ってほしいこと、約30分後に6分間の休憩があること、などが告知される。

次にDJの格好をしたぬいぐるみのガオガオさん(=稲葉実)が現れ、空野とりっぴい(=山崎たくみ)、桃山にゃっきい(=杉本沙織)、緑原みみりん(=高橋美紀)、そして縞野しまじろう(=南央美)を順に紹介する。

続いて2匹の亀のぬいぐるみ、ツルカメズ(=多田健二、善し)がコントを披露し、ようやく本編のアニメが始まる。

しまじろうは石の「モグール号」を手に持ち、妹のはな(=高橋美紀)と一緒に庭で穴を掘って遊んでいる。そこへ母親のさくら(=井上喜久子)がやってきて、朝食ができた、と伝える。

泥だらけでやってきたしまじろうとはなを見て、さくらはすっかり呆れる。一方、父親のしまたろう(=茶風林)は子供たちに甘い。

しまじろうとはなは服を着替え、両親と共に朝食をとる。しまじろうが、ガオガオさんがモグール号を真似てロボットを作ったらしい、と言うと、さくらは懸念を示す。ガオガオさんの発明品を信用していないのだ。さくらは困った顔をして、見るだけならよいが乗ってはいけない、としまじろうに伝える。

しまじろう、みみりん、とりっぴい、にゃっきい、の4人はガオガオさんの家にやってきた。ガオガオさんは自作の大型ロボット、モグール号を誇らしげに披露する。しまじろうたちはモグール号に一応感心しつつも、乗ってはいけない、と親に言われたこと打ち明ける。

見せるだけならいいだろう、ということで、ガオガオさんはしまじろうたちをモグール号の中へ連れてきた。操縦席にはレーダーまで備え付けられてあり、しまじろうたちは驚きの声を上げる。

説明が一通り済むと、ガオガオさんは外へ出るためボタンを押す。しかし扉は開かず、モグール号は地下に向かって潜りはじめる。ガオガオさんは誤って自動運転ボタンを押してしまったのだ。

ネタバレなしの感想

本作はベネッセコーポレーションが運営する通信教育講座「こどもちゃれんじ」のキャラクターたちを主役とした冒険物語である。映画が教育に役立つかどうかはわからないけれど、本作はシュールでなかなか面白い。

私が「しまじろう」からご無沙汰している間に、いくつかの見知らぬキャラクターたちが増えていた。それは例えば高田純次そっくりのガオガオさんや、今風の猫、にゃっきいである。私は彼らを見たとき、新入りか?、と思ったが、よくよく考えてみればほとんどのアニメは時と共に変わっていくのだ。「セーラームーン」だって途中から天王はるかと海王みちるが加わったではないか。

こうしていったんは納得したものの、鑑賞を終えて家に帰っても何か釈然としない。そんな中この記事を書くために下調べを始めたが、しまじろう、みみりん、とりっぴい、を代わる代わる見ているうち、ようやく深刻な事実に気が付いた。そう、羊のらむりんが消えたのだ!

そこでクビになったらむりんについて調べると、どうやら2012年3月26日放送の「しまじろうのヘソカ」第101話「さよなら らむりん」において、父親の家があるフランスへ引っ越してしまったらしい。たしかに海外ドラマでは、マンネリ化を防ぐ、などの理由から、シーズン終盤にしょっちゅう登場人物を入れ替える。しかし「しまじろう」でらむりんを島流しにするというのは、「サザエさん」でワカメを養子に出すようなものだ。そんなことをしたら「しまじろう」の基本的な枠組みが崩れてしまう。

さらに「しまじろうのヘソカ」から「しまじろうのわお!」への移行(2012年4月)に伴い、かつて脇役として活躍した黒猫三兄弟やメエメエ博士もリストラされている。

また「しまじろうのわお!」からはアニメーションが3DCGになった。アニメ制作担当のアンサー・スタジオはCGアニメを得意とし、新海誠の「言の葉の庭」や「君の名は。」でも制作協力をしているようだ。

いずれにしても、視聴率低迷で大幅なテコ入れが図られたのだろう。「しまじろう」も時代の流れには逆らえない。

さて、本作は深夜アニメの「この素晴らしい世界に祝福を!(=このすば)」に少し似ている。もちろん「このすば」の場合は狙って冗談を繰り出しているわけだが、本作は意図してギャグ映画になったのか、あるいは結果的にそうなっただけなのかはよくわからない。仮に、子供だけでなく大人も楽しめるように、との思いでわざとこのような作りにしているのなら、制作者はかなりの凄腕といえる。

まずガオガオさんは発明家を自称しているものの、実態は子供好きのマッド・エンジニアだ。映画館に来た子供たちが、ガオガオさんは故意に自動運転ボタンを押したのではないか、と白い目で見るのはもっともである。

ガオガオさんはモーグル号を制御しようとするが及ばず、ハンドルが重くて言うことを聞かない、としまじろうたちに言い訳をする。だがこれを聞いた観客は、いやいや、自動運転モードだから止まらないんだよ!、とツッコミを入れたくなるに違いない。

さらに、モーグル号はちょっと掘り進んだだけで地核のマグマに接近する。こんな近くにマグマがあっては、砂場で遊ぶ子供たちもたまったものではないだろう。

またこのあたりから、みみりんのメタ発言が目立ちはじめる。メタネタは視聴者から敬遠されがちだが、みみりんは、命の危険が迫っていて今メタ発言なんかしている場合じゃない、と誰もが思うときにあえてメタ発言をぶち込んでくるので、観客はおかしくて笑ってしまうのだ。

みみりんはマグマが迫る中、モーグル号の進路を上向かせるためにメガホンを回して、とカメラに向かって訴える。そこで子供たちは一生懸命メガホンを回すのだが、これによりモーグル号に何の影響があるのか、理解している観客は誰1人いない。

ヨット草に乗って移動していたしまじろうは、誤って地溝に落下してしまう。普通ならここで大慌てになるところだが、みみりんは余裕でカメラの方を振り返り観客に指示を出す。

砂漠では一部実写が用いられ、その際しまじろうたちは棒遣い人形になっている。この実写場面において、しまじろうたちはガラガラヘビのヘビコ(=山田花子)に追いかけられるのだが、使っている人形はずっと同じで表情も変わらない。そのため、しまじろうたちは笑顔のままヘビコから逃げることとなり、おまけにみみりんの悠長なメタ発言まで加わる。会場では大人の吹き出す声が聞こえた。

後半も突っ込みどころ満載である。

ココのお母さんはどうしてオアシスの中島に取り残されているのだろう。いくら大きな足に吹っ飛ばされたといっても、都合良くあんなところに着地するとは信じがたい。

しまじろうたちはみなで協力してフンコロガシのフンコロじいをひっくり返すそうとする。だがそのときに合理的な行動をとっているのはとりっぴい1人であり、ほかの4人は明後日の方向に押している。このシーンではさすがのとりっぴいも思うところあったはずだが、そこでぐっと堪えるのも友情なのかもしれない。

ワニが逃げ出すタイミングは遅すぎた。いくら本作がギャグ主体といっても、こんな恣意的なタイミングで逃げ出させるのはいかがなものだろう。

どうやら、モグール号はオケラではなくて蝉の幼虫らしい。だがいくら何でもボロボロになったモグール号がピカピカの蝉の成虫に生まれ変わるのは無理がある。

本作のキャッチコピーは「ぼくのいちばんのオアシスは、おかあさんだ」というものだが、アニメ部分の結末は意外にもあっさりしていた。こういった終わり方では教育上不満が残る、と考える親もいるかもしれないが、大人が鑑賞する分には湿っぽくなくてちょうどよい。

本作最大の欠点は本編前後において、ぬいぐるみたちの呼びかけがしつこいことだ。あれでは子供たちも呆れていたのではないか。またこのような形で時間を浪費したために、本作は肝心のアニメ部分が随分と短くなってしまった。

子供向け映画はエンドクレジッツが短すぎることが多いけれど、本作の場合はそれなりの長さが確保されていた。こうすることで子供たちは映画の終わりをきちんと認識できるし、本編の物足りなさもある程度は補われた。また歌と踊りも楽しいから、子供たちは気持ちよく家路につけたのではないだろうか。

私が観たのは4日目の昼だったが、観客は私と2家族だけであった。6分間の休憩中に席を外した子供はいなかったようだ。一方、リクガメの人形が画面に現れたのを見た子供は、食べられる?、と両親に尋ねていた。最近の子供に、カメさんかわいいね、などと言ってもおそらく通用しない。ちなみに、ガラパゴス諸島のゾウガメは船乗りたちの非常食として乱獲された、という有名な話があるから、リクガメは食べられると思う。

本作は時間配分に少々難があるものの、大人も楽しめる優れた作品だ。映画館で観てもきっと損はない。

監督 平林勇  声 南央美、高橋美紀、山崎たくみ、杉本沙織、稲葉実、山田花子、多田健二、善し、Mummy-D、ほか

1時間

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