夜は短し歩けよ乙女 10点

「夜は短し歩けよ乙女」はご都合主義の塊のような作品で、登場人物たちも魅力に欠ける。

京都、木屋町。大学クラブOBの結婚記念祝賀会にて、黒髪の乙女(=花澤香菜)は豪快に酒を飲み干す。一方、同じテーブルの先輩2人は酔っ払って顔が真っ赤だ。先輩たちがウーロン茶とサイダーを注文すると、もう1人は気を遣ってバヤリースを注文し、乙女もそれに合わせる。

そんな乙女の様子を別のテーブルに座った先輩(=星野源)がちらちらと見ていた。すると隣の学園祭事務局長(=神谷浩史)は、いつも好きな乙女を遠巻きに眺めているだけの先輩を皮肉る。

しかし先輩も今まで手をこまねいてきたわけではない。「ナカメ作戦(=なるべく彼女の目にとまる作戦)」を実行して自分の存在を乙女にアピールしてきたのだ。

そうした煮え切らない態度は同じテーブルのパンツ総番長(=秋山竜次)にまで批判されてしまう。ただ先輩には計画があり、それは2次会に参加して乙女と同じテーブルに着くことであった。

だが1次会が終わると乙女は街の中へ消えていく。そこで先輩は乙女の後を追うが、途中で見失い道に迷ってしまう。そうしてキャバクラの前をうろついていると、ガラの悪い客引きに絡まれる。先輩は勧誘を断るが、背後から近づいてきた何者かによって袋に捕らえる。

そのころ、乙女はバーのカウンター席でカクテルを飲んでいた。そこへ東堂(=山路和弘)という中年男性がやってくる。東堂は乙女にカクテルをご馳走し、偽電気ブランなる銘酒を李白(=麦人)という老人が持っていることを教える。そして身の上話をし、乙女が自分の娘に似ていると言って励ます。しかし東堂は乙女の肩に手を置くと、どさくさに紛れて胸を揉みはじめる。すると次の瞬間、乙女の「おともだちパンチ」が東堂に炸裂した。

その現場に羽貫(=甲斐田裕子)と樋口師匠(=中井和哉)が現れ、スケベじじいの東堂を鮮やかに撃退した乙女を褒め称える。見ると、床に倒れた東堂の周りには春画が散乱していた。

羽貫によれば、東堂は会社を経営しているが最近は上手くいっていないらしい。羽貫たちは乙女を連れ、東堂の付けで、と言ってバーを後にする。

ネタバレなしの感想

本作は先輩と乙女の恋の行方を描いたファンタジー風の作品である。ただ本作は呼吸するようにあちらこちらでご都合主義を用いており、これに最後まで付き合うのは相当な苦痛を伴う。また先輩の恋心はどこまで真剣なのか疑わしく、乙女もアンドロイドさながらで人間的な魅力に欠ける。

本作は独自性を出そうとしたためか、全体的に物事を茶化したような作りになっている。これによって一応は独特な雰囲気が作り出されているものの、観客が先輩に共感することは極度に難しくなった。

本作の先輩は、乙女に恋する自分、をネタに芸を披露するお笑い芸人のようだ。例えば冒頭を観ると「これがナカメ作戦です。乙女に恋した頭でっかちな僕、滑稽でしょう?」と語りかけられているように感じる。

また周囲もグルになって先輩のお笑いを演出してしまう。

袋に入れられた先輩は、なぜかズボンとパンツをとられた状態で路上に放置される。ヤクザは先輩のお笑い仲間なのだろうか。

古本市の神(=吉野裕行)は先輩の股間に2度もソフトクリームをくっつけてくる。これは漫才でいうボケのつもりかもしれないが、やり方が露骨すぎるし同じことを繰り返すのも芸がない。

また学園祭の舞台上に先輩が滑車で乱入するシーンなどは、テレビのバラエティー番組を彷彿とさせた。

こういった下品な冗談を多用すると、京都の人たちに怒られるのではないか。

ただ内容はともかくとして、もしギャグで人を笑わせることだけが目的ならばこの方針でいいだろう。しかし恋愛をお笑いのダシに使ってしまうと、先輩の恋心は真剣なものとして観客に伝わらなくなる。そんな先輩が乙女と結ばれても、観客の共感は決して得られない。

原作は、春の先斗(ぽんと)町、夏の下鴨(しもがも)納涼古本市、秋の大学学園祭、冬のお見舞い、という4幕構成になっているが、本作ではこれらがすべて一夜の出来事としてまとめられている。

しかしこれはどう考えても無理があった。

まず、服装が度々変わってしまう。例えば、乙女は夏の古本市ではタイツを履いていないが、秋の学園祭においてはタイツ姿で登場する。これを観客が見たら、いつの間に履いたの?、と不審に思うだろう。

季節と季節のつなぎ目もぎこちない。

まず先斗町から古本市への移動はあまりに人工的である。乙女は古本市が開かれていることを知るや、唐突に、子供の頃持っていた『ラ・タ・タ・タ・タム』という絵本を思い出す。そして手放してしまったまさにその本が欲しくなり、急遽古本市へ向かうのだ。あまりに突然のことで観客は事態がよく飲み込めないが、乙女は、台本通り、と言わんばかりに大手を振って古本市へと移動していく。

学園祭からお見舞いのシーンに移ったとき、それらが一続きの出来事だとわかった観客はいただろうか。いくらなんでも先ほどまで元気だった人たちが一斉に風邪で寝込むとは考えにくいし、乙女がわずか数時間で状況を把握して彼らを見舞えるとも思えない。しかしどうやら、学園祭からお見舞いまでは時間的に続いているようなのだ。私がようやくそれに気付いたのは、駅の時計を見たときだった。

乙女はただでさえ人間味の薄いキャラクターであるが、4幕を一夜に詰め込んだことで、その傾向はますます助長された。

乙女の肉体は鋼で出来ているのだろうか。乙女は先斗町で酒を浴びるように飲むが、体調を崩すどころか酔っ払うことすらない。さらにその足で古本市を回り、学園祭で主演を務め、寝込んだ人々を見舞う。普通は一夜でこれだけこなせば疲労困憊だろうが、翌朝になっても乙女は生き生きとしている。

また乙女の言動は進行の都合によって決められており、動機付けが非常に弱い。そのため、観客の目には乙女が理解不能なロボットのように映ってしまう。

例えば、再会を果たした乙女と東堂の会話はひどすぎる。東堂が、俺はお前の胸をもんだ男だぞ、と言うと、乙女は、素敵な人生論を聞かせてくれたではないですか、と力強く答える。そうして東堂を借金から救おうとするのだ。このような娘がいれば一部のおじさんにとっては好都合だが、大半の観客には単なるご都合主義として切り捨てられる。

さらに、乙女が先輩に恋心を抱く流れもあまりに不自然だった。

乙女は酒を飲んでいるから、おそらく大学3年生だろう。すると、もし乙女が1年生の時からサークルに所属していたならば、ナカメ作戦でつきまとってくる先輩の名前を2年以上も知らなかったことになる。

そんな乙女が学園祭の舞台でダルマを演じていると、突然、好きでもなかった先輩が乱入してきて自分の相手役にすり替わる。

そしてわずか数時間後、知り合いを見舞って話をするうち、乙女は先輩に恋をしていることに気付く。

こういった不思議な展開は男の妄想としてはありうるのかもしれないが、映画館でお金を取って見せるようなものではない。観客の気持ちをもう少し考えてほしかった。

私が観たのは初日の昼だったが、中スクリーンに観客はまばらであった。少し意外だったのは、平日の昼間にもかかわらず大学生くらいの若者が多かったことだ。こういったあたりが原作の読者層なのだろうか。

本作は話の本筋が度重なるご都合主義や下品な冗談の犠牲になっている。映画館で観ることは決して薦められない。

原作 森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』  監督 湯浅政明  声 星野源、花澤香菜、神谷浩史、秋山竜次、中井和哉、甲斐田裕子、吉野裕行、新妻聖子、諏訪部順一、悠木碧、檜山修之、山路和弘、麦人、ほか

1時間33分

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