ムーンライト 35点

「ムーンライト」は脚本が恣意的で工夫が足りない。

フアン(=マハーシャラ・アリ)は車をゆっくりと路肩に停める。タバコをくわえて外に出ると、道路の向こう側でもめている2人の男たちに近づいてゆく。

高齢のジャンキーは麻薬を付けで売ってもらおうと食い下がるが、若い売人はジャンキーに取り合わない。そこでジャンキーがわずかばかりの金を出すと、売人は、これは付けの支払いでもらっておく、と言って取り上げ、ジャンキーを追い払う。

フアンは売人と挨拶を交わし調子を尋ねる。売人が、クスリは廃墟にある、と言うと、フアンは、週末でいい、と答える。

フアンは売人と別れて車の方へ歩きはじめ、売人は、これで食っていけるよ、と後ろから声をかける。そのとき、フアンの前を5,6人の少年たちが駆けていった。

青いリュックを背負ったシャロン(=アレックス・ヒバート)は壊れたフェンスをくぐり、荒れ果てた空きアパートの2階へと駆け上る。そして部屋に入って鍵を閉めると、追ってきたいじめっ子の1人が激しく扉を叩く。それから、裏へ回れ、という声が聞こえてきて、いじめっ子たちはアパートの裏手から窓に向かって物を投げはじめる。

やがていじめっ子たちが消えると、シャロンは部屋の中央に進んで投げ込まれたガラスパイプを拾う。そのとき、誰かが激しく扉を叩きはじめた。少年は身構えるが、次の瞬間、窓枠に取り付けられた合板をはがしてユアンが中に入ってきた。

ユアンは、ここで何をしてるんだ、と尋ねるが、シャロンは何も答えない。そこでユアンは、今から何か食べにいくけど一緒に行くか、と言ってシャロンを連れ出す。

ネタバレなしの感想

本作はシャロンの少年期から青年期までを描いた伝記風映画である。しかし残念なことに、本作には観客を楽しませる要素がほとんど見当たらず、シャロンの心の動きが細やかに表現されているとも言い難い。また本作は人為的な設定や展開があまりに多く、全体として自然さに欠けた。

まず本作は飛び道具に依存しすぎている。たしかに、麻薬、貧困、売春、の3つは結びつきが強いけれど、それに、いじめ、同性愛、幼なじみ、まで加えてしまったため話はひどく人工的になった。またこのように、飛び道具に書かせてもらおう、という姿勢では脚本家として情けない。飛び道具は本来、仕方なく使うものだ。

さらに問題なのは、シャロンの描き方である。

第一に、シャロンは主体性が弱すぎた。いじめられたらいじめられっぱなしで、大人に相談することもなければ逃げ出すこともない。また母親のポーラ(=ナオミ・ハリス)や幼なじみのケヴィン(=ジャハール・ジェローム)に影響されて安易に麻薬に手を出してしまう。こういった描写は現実的なようだが、フィクションがノンフィクションの真似をしても人々の感情に訴えることはできない。フィクションにおいて観客の心を動かすものは、登場人物の強い意思なのだ。

第二に、シャロンはいつも感情を押し殺している。こうしたことにより、シャロンの苦しみは実感をもって観客に伝わらなかった。様々な描写からシャロンが苦しんでいることは明らかだが、人間も動物なので、頭でわかるのと体でわかるのとではどうしても違いがある。また本作はフィクションだから「事実の重み」に助けてもらうこともできない。そのため、本作の観客にはシャロンに感情移入してもらう必要があった。

本作は劇作家タレル・アルバン・マクレイニーによる未発表の戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue」を元に作られた。マクレイニーと監督のバリー・ジェンキンスは本作の舞台となったリバティ・シティで育ったが、マクレイニーはエール大学、ジェンキンスはフロリダ州立大学を卒業している。つまり彼らは、受け身のシャロンとは対照的な人生を送っているのだ。こういった事情も本作が恣意的になった理由の一つであろうか。

本作中でユアンが語る「In Moonlight Black Boys Look Blue」の話は次のような意味である。一般に黒はネガティヴな印象をもたれているが、月明かりの下では美しい青色になる。つまり、黒の絶対的な価値というのは定まっていない。それは黒人も同じことだから、世間の価値観や環境に流されず、自分の価値や進むべき道は自ら主体的に決めるべきだ。

その他、個別の場面等について指摘する。

フアンはシャロンを家に泊め、次の朝早く自宅へ送り届ける。するとちょうどそこへ、看護師の夜勤を明けたポーラが帰ってくる。こういった偶然は不自然であり、フアンとシャロンを玄関先で待たせていれば印象はずっと良くなった。

ポーラはまともな母親として登場したものの、その後は単なるジャンキーとして描かれる。こうした人為的な描写はいただけない。しっかりしたポーラが現れたとき、私は大いに喜んだ。それは事前予想通りのありふれた展開にならなかったためである。ただこうして無駄に期待を高めてからベタな展開に移ると、かえって観客の受ける傷は深くなってしまう。しかもこの描き分けは意図的に行われているのだから、制作者はなおさら悪質だ。また、ポーラというキャラクターについての一貫性の観点からも疑問がある。

フアンが麻薬をやっているポーラに遭遇するシーンもわざとらしい。2人を会わせること自体は悪くないが、こうしたあからさまな出会いでは興ざめだ。

リトル編の最後、フアンの家でのやりとりも取って付けたようだった。観客は同性愛という恣意的な道具が付け加わるだけでがっかりしているのだから、せめて告白の場面くらいは自然なものにしたかった。

シャロンは同性愛(あるいは両性愛)のケヴィンに好意を抱いているが、本作ではそれが十分伝わってこない。

内気なシャロンがケヴィンのために行動する場面は何カ所か見られる。しかしそれも言葉による表現ではないから、私たちの理解はどうしても不完全になってしまう。唯一の例外は最終場面だが、そこからさかのぼって全てを知れというのも酷な話である。

もう一つはケヴィンの魅力が薄いことだ。ケヴィンは自分やシャロンの身を守るのに必死だが、いくら何でもヘラヘラしすぎているし、シャロンにクスリを勧めたのは致命的であった。また最終盤からわかるように、ケヴィンは大人になってもどこか世渡り上手である。観客はこのようなケヴィンをどうしても好きになれないため、シャロンの気持ちに近づきにくいのだ。

私が観たのは2日目の昼だった。この日は公開第1週の土曜、しかもファーストデーということもあり、会場はほぼ満員であった。アカデミー作品賞という看板に惹きつけられた人もいたと思うが、本作の水準では期待はずれだっただろう。

本作は観客を感動させようとはしているものの、やり方が露骨すぎて失敗に終わった。映画館で鑑賞することは薦められない。

監督 バリー・ジェンキンス  出演 トレバンテ・ローズ、アシュトン・サンダース、アレックス・ヒバート、アンドレ・ホランド、ジャハール・ジェローム、ジャデン・ピナー、ナオミ・ハリス、ジャネール・モネイ、マハーシャラ・アリ、パトリック・デシール、ほか

1時間51分

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