「金メダル男」はかなりムラのある作品だ。
1964年、東京オリンピックが催され、カルビーかっぱえびせんや森永ハイクラウンチョコレートが発売されたその年、秋田泉一(=内村光良)は生まれた。
父親(=平泉成)と母親(=宮崎美子)は同じデパートに勤めていたが、慰安旅行で訪れた白骨温泉で意気投合。ただちに泉一が生まれる。泉一の泉は温泉の泉から取った。
はじめ、泉一は普通の子供だった。
しかし小学3年生の時、転機が訪れる。泉一は運動会の徒競走で懸命に走り、1番でテープを切る。すると上級生の女の子に誘導され、はい、金メダルよ、と折り紙で作った金メダルを渡される。このことが宙に浮かび上がるほどの快感となり、泉一はそれ以降どんなことでも一等賞を目指すようになる。
まず、泉一はうなだれる母親の様子を絵にするが、これが意図せず現代画風の作品となり、こども絵画展で一等賞を受賞する。このとき母親は真剣に離婚を考えていた。続いて、「非凡」と書いた書道作品、「ウォーターゲート事件」と題された鳥の巣のような現代アート風作品が相次いで1等賞に輝き、子供の火おこし大会では誰より早く火をおこす。
そんなある日、泉一が小学校の教室に1人で座っていると、先生(=大泉洋)がやってきて、秋田君は、将来何になるんだ?、と語りかける。僕は1等賞になりたいんです、と泉一は答える。何で、1等賞になりたいんだ?、と先生が尋ねると、泉一は、あらゆることで1等賞になりたいんです、大人は無理だと言うかもしれませんが、それは思い込みではないでしょうか、と乱れなく答える。それを聞いた先生はあきれて少し沈黙し、まあ、中学に行ってゆっくり考えなさい、と言って去ってゆく。
ネタバレなしの感想
本作の前半は不真面目に作った印象を受ける。
小学生の泉一は1等賞を総なめに出来た。それには、適当に作った作品が過度に評価されるなど、運の良さもあっただろう。しかし泉一は運動神経が抜群だし、書道の腕も確かだ。中学に上がってからも水泳や剣道では活躍できて、実力からすると1番であろう。
にもかかわらず、泉一はちょっとしたことで次々に部活を移ってしまう。しかも、その挫折の理由がふざけている。
本作は喜劇ではあるが、こういった姿を繰り返し見せると、泉一はふざけているだけで、本気で1番を目指していない、と認識されてしまう。そしてこれにより、泉一が必死に1番を目指す後半が台無しになる。
前半にふざけるなら、後半もふざける。逆に、後半に真面目にするなら、前半も真面目にする。そうしないと統一感が失われる。
また、真面目な作りにしても、冗談や伏線はいくらでも入れられた。ここで、真面目、というのは、極度にふざけない、という意味だ。
中盤において、二つほど冗談が気になった。
一つはサラダ記念日である。普通のネタならば、面白くなくても何とかなるし、むしろ意図的につまらなくすることだってある。しかし下ネタを使って全く笑いがとれないと、スクリーンが凍り付いてしまう。
もう一つは同性愛だ。その場面での泉一の反応はありうるもので、翌日の行動からも差別心は感じられない。しかしながら、同性愛を茶化すかのような音楽などの演出はいただけなかった。
また、後半への架け橋となる旅行の写し方にも問題がある。合成写真を使うのはやむを得ないかもしれないが、せめて若き泉一を演じる知念侑李を載せるべきだった。そうしなかったのは、後で泉一役を知念侑李から内村光良に滑らかに引き継ぐためだったのかもしれないが、あのように不自然に顔を隠していては、テレビに映される容疑者のようだ。
後半には突拍子もない展開が待っているが、そこに至る流れにさほど違和感はない。さらに話はそこから最後まで自然につながってゆき、内容も面白い。公民館回りをするなど、細かい部分にも手が行き届いている。
ただ、最後の場面は理解できなかった。やはり泉一の目的は、1番になることではなく、ふざけることなのだろうか。
本作は後半に盛り返すものの、前半で受けた傷はあまりに深く、冗談も面白くない。映画館で観る必要はないだろう。
監督 内村光良 出演 内村光良、知念侑李、木村多江、平泉成、宮崎美子、ムロツヨシ、土屋太鳳、笑福亭鶴瓶、ほか
1時間48分