「恋妻家宮本(こいさいかみやもと)」は前半は良く出来ているものの、後半に入るとたちまち安っぽくなる。ちなみに、本作の題名は「愛妻家宮本(あいさいかみやもと)」ではない。
宮本陽平(=阿部寛)と妻の美代子(=天海祐希)はデニーズで昼食のメニューを広げる。陽平は考えすぎて決められない癖があり、品数の多いファミレスは昔から苦手だった。メニューとにらめっこを続ける陽平に対して、美代子は、オムライスとシーザーサラダ、食後にコーヒーを頼んでおいて、と言ってトイレに席を立つ。
美代子が帰ってきても陽平はまだ悩んでいたが、美代子に促されてようやくハンバーグセットに決めた。美代子がボタンを押すとまもなく店員(=柳ゆり菜)がやってくる。デミグラスソースかおろしソースかの選択を迫られた陽平は再び考え込み、結局美代子の意見でおそしソースを選ぶ。パンかライスかの選択では勢いでパンを頼んでしまうが、すぐに思い直してライスに替えてもらう。さらに美代子の助言でコーヒーは食後に持ってきてもらうことになる。
大学生の陽平(=工藤阿須加)は3対3の合コンで美代子(=早見あかり)と知り合った。連れの男性2人はそれぞれ別の女性に目を付け、残されたのが美代子だったのだ。
2人が付き合いはじめてしばらく経ったある日、ファミレスで昼食をとっていると、美代子は突然、子供が出来た、と切り出す。そして、中絶するためのお金を半分ずつ出し合わないか、自分は教員採用試験があるし、陽平は大学院に行って日本文学の研究をするんだから、と続けた。それを聞いた陽平はしばらく固まる。だが意を決して、自分たち結婚しないか、美代子の作る味噌汁が飲みたい、大学を卒業したら教師になるよ、と答える。
ネタバレなしの感想
本作は不倫を材料とした古典的な作品である。不倫は刑法に適いながらも倫理的には最悪の行為とみなされる特異なもので、小説家や脚本家にとっては便利な小道具である。しかし問題は、小説や映画の中に不倫が氾濫していることだ。私は毎週のように不倫がらみの作品を目にする。また不倫に付随してしばしば描かれる「許し」も、お約束すぎて新鮮味がない。
陽平と美代子が結婚してあっという間に27年が経った。2人は息子夫婦と同居していたが、記者となった息子の正(=入江甚儀)は、被災地の現状を伝え続けたい、と言って妻の優美(=佐津川愛美)と共に福島へと旅立っていった。
その夜、陽平と美代子はファミレスで夕食をとり、人気のなくなった我が家に戻ってくる。美代子が、ワインを開けて2人の新生活を祝おう、と提案すると、陽平は料理教室で身につけたキャベツとコンビーフンの炒め物などを披露する。
やがて美代子が酔い潰れて居間のソファで寝てしまうと、陽平は2階の自室へと引き上げていく。陽平は、これからは夜も長くなるだろうから昔読んだ本でも読み返すか、と思い、本棚にあった志賀直哉の『暗夜行路』を手にとって広げる。すると折りたたまれた紙が床に落ち、拾ってみると、それは妻によって記入された離婚届だった。
本作の前半は抑制的ながら緊張と緩和のメリハリが効いた素晴らしいものだ。しかも陽平の誠実な人柄によって、緊張もむしろ心地よい。さすがは有名作家の手による原作、と感心させられた。
陽平と美代子は27年ぶりに2人きりになったため、宮本家にはただでさえ独特の雰囲気がある。加えて陽平が離婚届について問いただせない状態が続くことで、さらに空気が引き締まった。
担任を務める学級においても、陽平は問題を抱えた教え子、井上克也(=ドン=浦上晟周)に上手く対応できない。またそのことで教え子の菊池原明美(=メイミー=紺野彩夏)には、教師に向いてない、とまで言われてしまう。
そんな中、料理教室は唯一心安まる場所だ。同じ班の五十嵐(=菅野美穂)と門倉(=相武紗季)は風変わりながらもさばさばしており、陽平にとってはよき話し相手だ。彼らとは腹の探り合いをしなくてよいし、大人だから多少弱みを見せることもできる。
また陽平が離婚届を見たことが美代子に伝わるタイミングは絶妙であった。これよりも早いと少し物足りないし、逆に遅くなるともったいぶった印象を与えただろう。
このあたりまでは非常に質の高い大人のドラマだ。しかし残念なことに、本作は後半に難がある。
とりわけ、ラブホテルでの一件は致命的だった。
この経験によって克也の母親に対する、陽平の考え方が柔軟になった、という流れなのだろう。たしかに、陽平の言動が急に変わっては不自然だから、何かしらの事件が必要だというのは理解できる。また、この出来事は陽平が夫婦の絆を再確認するきっかけにもなった。
しかしながら、この手法を用いた代償は極めて大きい。
原作者は綱渡りをぎりぎりのところで成功させたつもりのようだ。実際、本作の描き方からすると、陽平は自分が妻を裏切ったとは思っていない。時が進むにつれて陽平の表情は明るく、思考は自己肯定的になっていく。たとえほかの要因があろうとも、心に大きな罪悪感を抱えていればこのような反応にはならないだろう。
しかしここで陽平と観客との間で認識のずれが生じた。常識的に言えば陽平がやったことは立派な背信行為であり、よって陽平は克也の母親の側に立ったとみなされる。
そんな陽平が堂々と「優しさ」の「正しさ」に対する優位を説いたところで、自分のやったことの言い逃れにしか聞こえない。陽平の言葉が説得力を持つためには、少なくとも、陽平は克也側の人間でなくてはならなかった。
克也が自分を好きになってくれればそれでいい、という陽平の心のつぶやきは、自己弁護的な主張をした自分に対する言い訳ではなくて、克也を母親の元に送り出すことの「正しさ」についての確信のなさを表している。繰り返すと、陽平は自分が人の道を踏み外したとは思っていないから、自己弁護する必要がそもそもないのだ。
本作は電通と東宝による共同製作作品だが、電通と陽平はまずいことをしてしまったという意味では多少重なる。だから陽平が「優しさ」、踏み込んで言えば「許すこと」について熱弁する様子は電通が弁解しているようでどこかおかしい。
こいづま駅での展開はひどく人為的である。この場所だけで偶然がいくつ使われただろう。最終局面を劇的にしたい気持ちはわかるが、無理矢理それを実現しようとすれば大きな痛手を被る。
またこいづま駅のホームにおける天海祐希の身振り手振りは大げさだ。監督の指示を受けたにせよ、普通の主婦だったらどのように振る舞うか、もう少し慎重に考えてほしい。
私が観たのは2日目の午前だったが、大スクリーンで上映される作品にしては観客は多くなかった。本作の完成度ではこんなものではないか。
本作は最後まで我慢できれば良作になったと思うが、後半の入り口で緊張の糸が切れてしまった。鑑賞後はすっきりしないものが残るけれど、前半を目当てに観にいくことは考えられる。
原作 重松清『ファミレス』 監督 遊川和彦 出演 阿部寛、天海祐希、菅野美穂、相武紗季、工藤阿須加、早見あかり、浦上晟周、紺野彩夏、富司純子、入江甚儀、佐津川愛美、奥貫薫、佐藤二朗、豊嶋花、渡辺真起子、関戸将志、柳ゆり菜、ほか
1時間57分