インフェルノ 60点

「インフェルノ」は、「ダ・ヴィンチ・コード」、「天使と悪魔」に続く、シリーズ第3弾である。ご都合主義が少ない点は評価できるが、極端に竜頭蛇尾な作品となった。ちなみに、本作を観るのに全2作品の予習はほとんど必要ない。

若き億万長者のゾブリスト(=ベン・フォスター)は舞台上で演説している。

考えてみてくれ。世界人口が10億人に達するには、原始時代からはるばる18世紀初頭まで、数千年かかった。しかし驚くべき事に、それは次の100年で2倍の20億人になった。そしてわずか50年後、さらに2倍の40億人になった。このままいけば近い将来、80億人を上回るだろう  

ゾブリストは誰かに追われ、フィレンツェの町を走っている。

回想の中でゾブリストは誰かに話しかける。

ここにスイッチがある。それを押せば地球上の2人に1人が死ぬ。だがもしそうしなければ、人類はあと100年で絶滅する。私が彼らに見つかったときのために、君に道を残した。困難な道だが、君にしか終わらせられない。”インフェルノ”はその終着点にある。君は緊急のときの代役で、人類の最後の希望だ。”インフェルノ”を確実に解き放て。尋ねて見いだすのだ  

ゾブリストはバディアの塔に逃げ込み、最上階まで駆け上がって息を切らせる。しかし追手のブシャール(=オマール・シー)たちも最上階に来て、ゾブリストを見つける。

あれがどこにあるか教えたいんじゃないか?、とブシャールは尋ねる。ゾブリストは、ああ、そうするよ、とゆっくり答え、そのまま背中から外に落下する。

再びゾブリストの回想が入る。

彼らに伝えよ。人類こそが病であり、インフェルノはその治療薬なのだ  

ネタバレなしの感想

本作の前半は素晴らしく、さすが人気作家の手による原作、と感心させられる。

銃がすぐに出てくるのはハリウッドらしいが、カーチェイスがなくてよかった。ただそれにしても、アメリカ領事館やWHOの職員(?)たちはやたらと重武装をしてマッチョである。特に、WHOは軍隊なのだろうか。

手探り状態で追手から逃れようとする設定はよくあるものだ。しかし本作は、謎めいた医師、シエナ(=フェリシティ・ジョーンズ)やローマの町を上手に利用して、話に高い緊張感をもたせた。しかもそれが長く続き、観客を飽きさせない。

そのほか、ダンテ、ボッティチェリ、ヴァザーリ、ヴェッキオ宮殿などの蘊蓄も作家がよく勉強していることがわかって楽しい。

このように会心の前半を誇る本作だが、中盤あたりから急速にネタが切れてくる。

ブシャールが活躍しはじめると雲行きが怪しくなり、その後いったん盛り返すが、頑張りもそこまでだ。それ以降、今までに何度もハリウッドに見せられたような展開が続き、時間がたつにつれて状況は悪化する。

謎の組織を率いるシムズ(=イルファン・カーン)は威厳があり、ブシャールも頭の切れる人物なのだが、話の都合か、中盤での彼らの扱いは著しく雑である。

それに続くイスタンブール大学の場面も釈然としない。一体どういう経緯であの展開に至るのか、理解に苦しむ。

最終盤などは「ミッション:インポッシブル」を安く作ったような感じだ。いくらなんでも、人類の命運をかけた戦いが粗末すぎる。”インフェルノ”もあれでよかったのだろうか。

ただ、ご都合主義なところは割と少ない。

前半、ラングドン(=トム・ハンクス)が電話をかけようか躊躇して先延ばしにする場面があるのだが、あの状況でそれは現実的でない。

ヴェッキオ宮殿の屋根裏の仕組みはドラえもんが考えたのだろうか。

ダンテの権威であるはずのラングドンがイタリア語を話せないのもいささか不可解だ。

本作は前半と後半で完成度の差が著しい。後味が悪くて残念だが、前半を楽しむつもりで観にいくことは考えられる。

原作 ダン・ブラウン『インフェルノ』  監督 ロン・ハワード  出演 トム・ハンクス、フェリシティ・ジョーンズ、イルファン・カーン、オマール・シー、ベン・フォスター、ほか

2時間1分

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