デスノート Light up the NEW world 35点

「デスノート Light up the NEW world」は、「デスノート」、「デスノート the Last name」に続く、シリーズ第3弾である。本作は前2作品に比べて大幅に改善したものの、なんでもあり、の姿勢は依然として健在だ。なお、本作に「L change the WorLd」はほとんど関係しない。

10年前、デスノートを拾った夜神月(=藤原竜也)は大量殺戮を行い、世間からキラと呼ばれるようになった。キラは探偵、Lとの駆け引きの末、死亡した。この様子に満足した死神大王は、キラの後継者を探すため、死神たちに命じて、新たに6冊のデスノートを地上に送り込む。

雪の降り積もったロシアの田舎町。男が木造の家の前にやってくると、1冊の黒いノートが空から降ってくる。男は不思議に思ってノートを手に取り、おもむろに開く。するとそこには、このノートに名前を書かれた人間は死ぬ、と書かれていた。男はあきれて笑いを浮かべるが、少し迷いながらもノートを持って家に入る。

中では老人がベッドで横になっており、男は語りかけながら老人の腕を曲げている。具合はどう、と男が尋ねると、最悪だ、と老人は答える。殺して楽にしてくれ、ドクター、と訴えるが、そんなこと言っちゃいけないよ、と男は答える。

だが男は何か気になり、棚に置いたノートの方に目をやる。いったん目線を戻すが、再びノートの方を見ると、ノートは男の方に近づいてきている。

男はノートを手にとって元の椅子に腰掛ける。ノートを開き、ヴァシリィ・ニキトビッチに安息を、と書き入れる。しかし何も起こらず、男はノートを閉じて苦笑いする。しかししばらくして、老人の動きがなくなったことに気付く。確認してみると、脈はすでにない。

ネタバレなしの感想

本作は前作の流れを引き継ぎ、なんでもありな内容だ。しかしあまりにひどかった前作に比べれば、かなり健闘したといえる。

中でもよかったのが、ノートと死神をめぐるご都合主義がそれほど広がらなかったことだ。前作では展開に行き詰まると、死神の目だの、死神が人間に恋するだの、死神がノートに書き込むだの、ありとあらゆる反則技が使われた。本作でもそれらは踏襲されるが、反則技の際限ない拡大は抑えられた。

前作において、藤原竜也の演技は大げさでわざとらしく、Lは松山ケンイチ本人にしか見えなかった。本作の主役たちは演技が上手いとまではいえないのだが、前作の2人に比べれば大幅によくなっている。

予算の増大も本作に寄与した。前作は低予算で作られたことが明らかだったが、本作においては街中での迫力ある場面が数多く見られ、警視庁内部の様子もそれらしくなった。安っぽいセットで容疑者が監禁される様子をだらだらと見せられることもない。また時代と共にCGの質も上がった。

しかし上記以外の点において、本作のご都合主義は甚だしい。

まず、ハッカーの役割が常軌を逸している。一体どこの個人がサイバー空間を意のままに操れるというのだろうか。しかもその回数が多いし、規模も尋常でない。そのハッカーが白いぴちぴちの服を着ているのもわざとらしい。そういうのは漫画だから許されることだ。

警視庁はいつでも自由に貸し切り出来るようで、デスノートを守るパスワードの管理は恐ろしくずさんだ。

また前作に引き続き、Lの後継者には首相をも凌ぐ権限が与えられている。そもそも、Lやその後継者が警視庁に重用されるだけで違和感があるのだから、その後はもっと慎重に描くべきだった。

しかしそれらの問題にもまして、本作は終盤の描き方が雑である。ネタは出がらしだし、どうして突然ハリウッド式になってしまうのだろう。地下での話も寝耳に水だ。それにもし続編を作りたいならば、周到に準備しなくてはいけなかった。

ちなみに、エンドクレジッツのあとに一場面あるが、特に意味のあるものではない。

本作は予算の増大と共に質の向上が見られるが、脚本のご都合主義は減らしきれていない。前2作品の熱烈な支持者でないならば、本作を観る理由はないだろう。

監督 佐藤信介  出演 東出昌大、池松壮亮、菅田将輝、藤井美菜、川栄李奈、ほか

2時間15分

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