「ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期」は、「ブリジット・ジョーンズの日記」、「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月」に続く、シリーズ第3弾である。本作は冗談に優れるが、都合の良い展開が続き、まるで現実感がない。
5月9日、誕生日サイテー。ブリジット(=レネー・ゼルウィガー)はエリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」(歌はジェイミー・オニール)を聴きながら、自宅アパートのソファに1人で座り、ろうそくを立てたカップケーキを持っている。自分に誕生日の歌を歌うが、次第にやけになり、音楽をハウス・オブ・ペインの「ジャンプ・アラウンド」に切り替えて踊り出す。そしてそのまま寝室へ移動すると、ベッドに倒れ込む。
ブリジットはその日にあった出来事を回想する。
12時間前の朝6時、ブリジットは母親のパメラ(=ジェマ・ジョーンズ)に電話で起こされる。これは誕生日の恒例で、もううんざりしている。パメラは、誕生日おめでとう、とブリジットに伝え、まだ結婚しないのか、と尋ねる。ブリジットは、今はまだしない、と答える。パメラが、わかってるでしょ、時間がないの、と諭す。わかってる、とブリジットは言って受け流す。そしてパメラは興奮気味に、自身が立候補する村議会選挙について話す。ブリジットは、米国議会に立候補するんじゃないんだから、と少しあきれるが、選挙の応援に行くことを約束する。
ネタバレなしの感想
第2作が発表されたのが2004年だから、内容を忘れるには十分な時間がたった。
第1作、第2作は英国人作家、ヘレン・フィールディングの手による同名の小説『Bridget Jones’s Diary』、『Bridget Jones: The Edge of Reason』を映画化したものである。
その後、フィールディングは2013年に『Bridget Jones: Mad About the Boy』を出版しているが、その内容は本作のそれと大きく異なる。『Mad About the Boy』のブリジットは50代であり、夫のマークには先立たれたが、2人の子供がいる。一方、本作のブリジットは43歳で依然独身だ。
そんなこともあってか、本作は前2作品と比べてより娯楽色が強い。前作は幾分ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の香りがしたけれど、本作で生き残ったのは「ミスター・ダーシー」という言葉くらいだ。
本作では、ジャック(=パトリック・デンプシー)とマーク(=コリン・ファース)がブリジットを巡って争うのだが、これがあまりに現実離れしている。
男前なジャックとの出会いはまだしも、再会に至る流れは全くお粗末である。そして後に判明することだが、ジャックは独身で、誠実で、頭がよく、億万長者だ。その上ブリジットに恋をして、一心に支えようとする。
マークはかつてブリジットと上手くいかなかったはずだが、なんとも絶妙な時期に妻と離婚調停に入り、ブリジットに言い寄ってくる。しかも本気なのだ。また弁護士としても順調に経験を積み、現在は世間が注目する重大な案件を扱っている。
聖書をもってしても、ここまでの奇跡は描けなかった。
終盤はもうめちゃくちゃである。ご都合主義はますます強化され、細部の描き方も非常に雑だ。作品の自然な展開を完全に放棄している。
結末もすっきりしない。観客がブリジットに共感できるよう、もう少し配慮があってもよかった。この描き方だと、ブリジットに好感を持つ観客はあまりいないだろう。また、ダニエル(=ヒュー・グラント)の件は明らかに蛇足だった。
しかしながら、本作の脚本には二つほど優れた点がある。
一つめは、自己中心的にも見えるブリジットの行動が、一応正当化されていることだ。本作は観ていてあまり気持ちのよいものではない。ただいくつかの工夫により、ブリジットのことを一方的に非難するのは難しくなっているのだ。
もう一つは、所々にちりばめられた冗談である。それらは質と量の両面で他の作品を凌ぐものであり、本作の価値を大いに高めている。
ちなみに、エンドクレジッツの後に1枚の写真が映されるが、特に意味のあるものではない。
本作はブリジット・ジョーンズの名を冠したB級娯楽作品である。前2作品の熱烈な支持者でないならば、本作を観にいく理由はないだろう。
監督 シャロン・マグワイア 出演 レネー・ゼルウィガー、コリン・ファース、パトリック・デンプシー、エマ・トンプソン、ほか
2時間5分