LION/ライオン ~25年目のただいま~ 60点

「LION/ライオン ~25年目のただいま~」は、サルー・ブライアリーの実話『25年目の「ただいま」』を基に作られたドキュメンタリー風の映画である。後半には少々難があるものの、全体としてまずまずの仕上がりだ。

インド、カンドワ。幼いサルー(=サニー・パワール)が荒れ地にたたずんでいると、数匹のチョウが寄ってくる。サルーはチョウを追いかけて進み、気付けば群れの中に立っていた。

そこへ兄のグドゥ(=アビシェーク・バラト)が現れてサルーに呼びかける。

サルーたちは線路脇で石炭輸送列車を待つ。列車がやってくるとまずグドゥが走って乗り込み、サルーもなんとかそれに続く。乗車したサルーたちは、さっそく持参した袋に石炭を入れはじめる。

しかしその様子はすぐに列車の警備員に見つかってしまう。グドゥは石炭の上によじ登りサルーも上に上がろうとするが、警備員は列車を降りて線路脇を走ってくる。そのとき列車はトンネルにさしかかり、2人は運良く難を逃れた。

サルーたちは市場で石炭を売り、2袋分のミルクに替える。サルーがグドゥに揚げ菓子をねだると、グドゥは、また今度、と答える。

2人はミルクをもって粗末な家に帰ってきた。母親(=プリヤンカ・ボセ)は何か言いたげだが、あまり深くは尋ねずにミルクを器にあけてグドゥたちに差し出す。サルーはミルクを一口飲んで母親にも勧めるが、母親は優しく断る。

母親は娘のシェキラをサルーたちに預けて仕事へ向かった。だがしばらくすると、サルーはグドゥも家を出ていこうとしているのに気付く。一緒に連れていってほしい、とサルーが訴えると、グドゥは、シェキラの面倒を見ていろ、と指示する。サルーはそれでも引き下がらず、グドゥはしぶしぶサルーを連れて出かける。

サルーたちは夜行列車に乗り込み、座席の下に落ちた硬貨などを拾う。しかし目的の駅に着いた頃にはサルーはすっかり疲れ切っており、ホームのベンチで横になってしまった。そこでグドゥは、動かず待っているように、とサルーに言い聞かせて仕事を探しにいく。

サルーは真夜中に目を覚ますが、周囲は静まりかえっていてグドゥの姿はない。するとサルーはグドゥを探して辺りをさまよいはじめ、やがて無人の列車に乗り込む。だがそこにもグドゥの姿は見えず、疲労困憊のサルーは寝台で眠ってしまう。

翌朝サルーが気付くと、列車は無人のままひた走っていた。サルーはグドゥの名を叫ぶが、扉が閉まっており外へは出られない。

ネタバレなしの感想

本作はサルーが実家に辿りつくまでの25年間を描いた作品である。原作者の人生は幼少期の一時期を除けばごく平凡なため、題材としては必ずしも映画向きとはいえない。そこで本作はサルーが路上で生活する期間を実際より引き延ばし、青年期もドラマチックに脚色した。ただ取って付けたような終盤の展開は、さすがに全体の流れにはなじまなかった。

サルーは数日間列車に揺られ、カンドワから1500km以上も離れた西ベンガルのコルカタに到着する。コルカタの人々はベンガル語を話し、サルーのヒンディー語は通じない。2ヶ月間路上で生活した後、サルーは孤児院に収容された。そして児童福祉団体のミセス・スード(=ディープティ・ナバル)の仲介により、タスマニアで暮らすオーストラリア人のスー(=ニコール・キッドマン)とジョン・ブライアリー(=デヴィッド・ウェンハム)夫妻に引き取られる。

サルーのコルカタでの路上生活はあまりに長々として退屈である。しかしながら、原作者の人生で劇的なのはこの時期をおいてほかにない。そのため原作を極力いじらずに娯楽映画に仕立てようとすれば、どうしてもコルカタのシーンを厚くする必要が出てくる。このあたりはノンフィクションを映画化することの難しさだろうか。

ちなみに、本作中でサルーが路上にいたのは2ヶ月間だが、実際に原作者が路上生活を経験したのは3週間とのことだ。

前半がお金のない苦しみを描いたとすれば、後半はニートの子を持つ親の苦しみが伝わる切実な内容となっている。

私はニートなので、日経225採用銘柄に勤める友人には会う度に怒られる。そんなとき私は、新卒で大企業に入って死ぬまで安泰なんてドラマがないじゃないか、と屁理屈をこねるのだが、どうやら制作者も同意見だったらしい。

原作者は大学卒業後にニートにはなっておらず、タスマニアで家族と共に商売をしている。そうして仕事の空き時間を使ってGoogle Earthを見ていたわけだが、そんなぬるい態度ではドラマになろうはずもない。

そこで制作者はサルーを悩めるニートにした。しかし本作の大枠は原作者の人生なので、その一部を恣意的にいじるとどうしても不自然な点が出てくる。

まず、サルーがアイデンティティーの危機に陥った時期は遅すぎた。実際のところ、自分は何者なのか、人生において何ができるのか、と根詰めて悩むのはもっぱら若い学生時代である。もちろんそれがずるずると長引く場合もあろうが、少なくとも、老化と共に悪くなることは考えにくい。だからサルーが大人になって急に大崩れする様子は現実味に欠けるのだ。

さらに、サルーはインドの実家を探し出すまでに時間がかかりすぎている。原作者は6年の歳月を費やしたけれど、それは片手間に調べた結果であって本作のサルーとは事情が異なる。サルーはインドの家族が気になって仕事ができないほど追い詰められているのだから、普通だったら、あらゆる手段を使い血眼になって探すはずだ。そうすれば時間は6年もかからないだろう。

2011年の3月31日に貯水タンクを地図で見つけたサルーが2012年の2月12日まで現地を訪れていない、というのもおかしい。サルーはあれほど苦しんでいたのだから、普通なら探し当てた翌日にでも現地に向かうはずだ。それが翌年とはあまりに悠長だろう。制作者は原作のスケジュールを守ったが、原作者と本作のサルーとの間で温度差があったためにこのような不思議な事態になってしまった。

壁に地図や写真を貼って画鋲を立てるあたりは単純すぎる。このような表現はアメリカのドラマ等で使い古されているし、いかにもカメラ用といった感じでわざとらしい。

スーが、自ら子供を産むよりも養子をもらうことを選んだ、とサルーに伝える場面は感動的である。やはりそれは、私たちが前半から厳しい境遇にある子供たちを散々見せられており、子を産む親の責任について考えさせられているためだろう。

だがそれにしても、このように立派なスーでさえわずか12歳で得た確信が揺らぐというのだから、子供がニートになるのは母親にとってよほどつらいことらしい。ただ前向きに捉えれば、ニートは神への信仰すら失わせてしまうほどの強力な力を持っている、ということだろうか。

ちなみに、本作ではサルーにルーシー(=ルーニー・マーラ)という恋人がいる。原作者が当時交際していたLisa Williamsというオーストラリア人女性がルーシーのモデルとのことだ。

参考

Saroo Brierley Reunited With Mother Fatima Munshi After 25 Years|Saroo Brierley

LION(2016)|HISTORY vs HOLLYWOOD

私が観たのは5日目の夕方だったが、大スクリーンの後ろの方はそこそこ埋まっていた。本作の完成度からすれば割と入った方ではないか。

本作は多少無理矢理なところもあるが、前半を中心に丁寧に描けている。映画館で観てもよいと思う。

原作 サルー・ブライアリー『25年目の「ただいま」』  監督 ガース・デイヴィス  出演 デヴ・パテル、ルーニー・マーラ、ニコール・キッドマン、デヴィッド・ウェンハム、サニー・パワール、アビシェーク・バラト、ディープティ・ナバル、プリヤンカ・ボセ、ディヴィアン・ラドワ、タニシュタ・チャテルジー、ナワーズッディーン・シッディーキー、サチン・ヨアブ、パッラビ・シャルダー、アルカ・ダス、ほか

1時間59分

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