ひるね姫 ~知らないワタシの物語~ 75点

「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」は発想に優れた良作である。ちなみに、本作の題名は「眠り姫」ではない。

昔々、ハートランドという全ての人々が機械作りに携わる国があった。機械は24時間体制で作られ、ほとんどの人は朝5時になると一斉に勤め先のハートランド城を目指した。そのため毎朝ひどい渋滞が起き、遅刻するのが当たり前のようになっていた。城に出勤した人々は自動車生産ラインで働き、夕方5時になると夜勤の人と交代する。

仕事を終えたピーチ(=江口洋介)は窓口で日当を受け取るが、遅刻した分はきっちりと引かれてしまった。ピーチはがっかりしてバイクを置いた駐車場に戻ってくるが、今度は管理者がやってきて、新車に乗り換えろ、と指図する。それはハートランドのルールで、従わなければ給料から天引きされてしまうのだ。

こうした国の仕組みや規則は、全てハートランド王(=高橋英樹)の一存で決まっていた。

しかしハートランド王には悩みがあり、それは娘のエンシェン・ト・ハート(=高畑充希)が魔法使いとして生まれたことだった。エンシェンは3歳になると王様がプレゼントしたぬいぐるみをジョイ(=釘宮理恵)と名付け、魔法でしゃべれるようにした。さらに6歳になると町中の機械に魔法をかけ、勝手に動くようにしてしまった。それを見た王様はエンシェンの魔法のタブレットを取り上げるが、エンシェンは保管庫に忍び込みタブレットを密かに取り戻す  

高校3年生の森川ココネ(=高畑充希)は夢から覚めた。時計を見ると7時15分で、ココネは慌てて飛び起きる。寝坊したことを父のモモタロー(=江口洋介)にわびながら1階へ降りると、3日後に迫った東京オリンピックのニュースが流れていた。

モモタローは隣の作業場において携帯電話で話をしている。相手は、タブレットを渡さなければ裁判を起こすと志島会長が言っている、と通告してくる。

ココネは2人分の朝食を作り、モモタローと一緒に食卓につく。ココネは、自分は明日から夏休みだから旅行にでも行かないか、と提案するが、モモタローの反応は薄い。

ココネは先に食事を済ませて家を出ようとする。LINEで、いってきます、とモモタローに伝えると、今日は帰りが遅くなるかもしれないから、先にお母さんの墓参りに行っておく、と返事が返ってきた。

ネタバレなしの感想

本作は夢と現実が徐々に接近し、混じり合っていく物語である。こうした主題の性質上、後半に進むにつれて話は混沌としていき、それが観客の不評を買う原因になっているようだ。しかし本作の発想は新鮮だから、夢と現実の混ぜ方にもう少し工夫があれば、誰もが認める名作になっただろう。

ハートランドはしばしば鬼とよばれる巨大な怪物に襲撃されていた。これに対抗するため、ハートランド王は対鬼用兵器、エンジンヘッドを開発させる。

このエンジンヘッドがどういう仕組みで動いているのかはわからないが、人が乗り込んで必死にペダルをこぐ姿は滑稽だった。いくらなんでも巨大なロボットを人力で動かせるはずはないし、かといってわざわざペダルをこいで動かす仕組みにするのも不自然だ。

モモタローが警察に連行される場面は恣意的である。警察は家に来るのが一番自然だが、そうでなければ、せめて墓参りの前か後に登場すべきだった。

ココネの家に志島自動車取締役の渡辺一郎(=古田新太)たちがやってくるシーンもいただけない。モモタローからのメッセージはここぞというときに届くし、幼なじみの佐渡モリオ(=満島真之介)が訪問してくるタイミングも出来過ぎていた。

本作には、東京オリンピック、タブレット、自動運転技術など、多くの流行り物が取り入れられている。こうした選択はやや安易な感じもするが、本作を最後まで観ると制作者のやりたかったことは一応伝わってくる。

しかしプログラムの扱いはあまりに子供っぽかった。

まず、オリンピックの開会式で使う自動運転プログラムが3日前になっても未完成、という事態は現実では起こりえない。この時期にプログラムが万全でなければ、有人運転にすることはとっくに確定しているはずだ。

さらに不可解なのは、渡辺がココネの母、イクミ(=清水理沙)が残したプログラムを奪おうとしていることだ。イクミのプログラムは20年近く前のものだから、実用的な価値はほとんどないだろう。またイクミの書いたプログラムが完璧に要求を満たしたとしても、開会式まであと3日ではどう考えても調整や試験の時間が足りない。

モモタローのタブレットやスマホにはヒビが入っているが、その理由はハートランドでの描写から推察できる。しかしこれは現実世界の事情とは整合性がとれていない。

2020年の時点でココネは高校3年生だから、17~18歳と思われる。一方、イクミはココネが生まれてすぐに交通事故で亡くなったらしい。したがってココネが他界したのはおそらく2002~03年頃のことだ。

よってモモタローのタブレットやスマホは2000年代前半に製造されているはずだが、これは現実の世界よりも10年ほど早い。

このように過去の事実を操作すると違和感が生じるから、もし必要ならば、未来に新しい出来事を付け加える方が良い。例えば、2030年に仙台でオリンピックが開催される、という設定にすれば、観客も受け入れやすかった。

中盤、ココネの夢にはモリオが現実の服装で現れる。このときジョイは、モリオは元々の物語には登場しないから設定がないんだ、と解説をする。このあたりから夢と現実が交わっていくが、もう少し滑らかに接続しなければ観客が受け入れるのは難しい。

志島自動車本社における描写も精彩を欠いた。

まず志島自動車会長、一心(=高橋英樹)の登場は人為的すぎる。ココネが本社のロビーで一心を待っていれば、だいぶ印象は違っただろう。

本社の場面は夢と現実が交錯するためただでさえわかりにくい。それは本作のウリでもあるが、問題は、夢と現実の出来事が時系列順に対応していないことである。

現実世界では、

①ココネは本社上層階へ上る

②ココネはタブレットを追いかけて飛び出す

③モモタローも本社上層階へ上る

④モモタローはココネを助ける

という順番のはずだが、夢の中では、

②ココネはタブレットを追いかけて飛び出す

④ピーチはココネを助ける

③ピーチは宇宙へ上る

①ココネも宇宙へ上る

⑤ココネはピーチを助ける

という順番になっている。

夢だからごちゃごちゃして当たり前、と言うかもしれない。しかしこのように対応が取れていないと、観客が置いていかれるだけでなく夢と現実が乖離したまま終わってしまう。いずれにしても、最後はもう少し一体感がほしいところだ。

本作の出演者たちはまずまず健闘しているものの、俳優とプロの声優との力の差は埋めがたかった。アニメの場合は声で表情を付ける必要があり、多くの俳優たちはその訓練を受けていない。そのため俳優主体のアニメでは、どうしても全体がのっぺりとしてしまう。

私が鑑賞したのは6日目の午後だったが、小スクリーンに観客はそこそこ入っていた。本作のアイディアは面白いけれど、大ざっぱな作りに閉口した人もいたと思う。私は本作が「君の名は。」に似ているとは予想していなかったが、さすがにSFで始まったときは驚いた。

本作は欠陥が多いものの、基本的な枠組みの選択には成功している。新鮮な発想を求めるマニア向けだが、映画館で観ても決して損はない。

監督 神山健治  声 高畑充希、満島真之介、古田新太、釘宮理恵、高木渉、前野朋哉、清水理沙、高橋英樹、江口洋介、ほか

1時間50分

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