「黒執事 Book of the Atlantic」は話の展開が稚拙であり、全編にわたるアクションも緊張感に欠ける。
港にはマジェスティック・スターライン社が製造した、豪華客船カンパニア号が停泊している。シェフのバルドロイ(=東地宏樹)、ガードナーのフィニアン(=梶裕貴)、ハウスメイドのメイリン(=加藤英美里)に見送られ、シエル・ファントムハイヴ(=坂本真綾)は執事のセバスチャン・ミカエリス(=小野大輔)とフットマンのスネーク(=寺島拓篤)と共にカンパニア号に乗船する。
ギャングウェイが上がるぎりぎりのタイミングで、眼鏡を掛けた緑の目の男(=KENN)もカンパニア号に飛び乗った。
船上でシエルは許嫁のエリザベス・ミッドフォード(=リジー=田村ゆかり)に遭遇する。リジーは、船旅を断ったシエルが思い直して一緒に来てくれたのだと思い、抱きついて大喜びする。シエルはリジーの母のフランシス(=田中敦子)、父のアレクシス(=中田譲治)、さらに兄のエドワード(=山下誠一郎)とも挨拶を交わす。チャールズ・グレイ(=木村良平)とチャールズ・フィップス(=前野智昭)も船に乗り合わせていた。
シエルたちがカンパニア号に乗り込んだのには理由があった。あるときシエルは、カルンスタイン病院が非合法な人体実験をして死者の蘇生を行っている、との噂を耳にする。それにはカルンスタイン病院の関係者が組織するアウローラ学会が絡んでいる模様だが、次回の学会はカンパニア号の処女航海の船上で開かれるらしいのだ。
ネタバレなしの感想
本作の大半はゾンビの始末と仲間内でのプロレスに費やされた。ドラマもあるにはあるのだが、それは回想や「シネマティックレコード」といった間接的な形をとり、豪華客船という舞台設定はほとんど活かされていない。
セバスチャンはアウローラ学会の会場に入る前にセシルを止めて合い言葉を教える。それが言えなければ部外者とみなされて退場されられてしまう。
2人が中へ入ると、さっそく男が近づいてきて「完全なる胸の炎は」と合い言葉の最初の一節を投げかける。するとセシルたちが「何者にも消せやしない」と続け、「我らフェニックス!」と声を合わせてポーズを決める。その様子を見ていたアンダーテイカー(=葬儀屋=諏訪部順一)やドルイット子爵(=鈴木達央)が2人に話しかけてくる。
学会の設立者であるリアン・ストーカー(=石川界人)の公演が始まった。ストーカーは事故で死亡した少女の遺体を自作の装置につないで電流を流す。すると少女は身を起こし、会場は歓喜に包まれる。しかし次の瞬間、少女は抱きついた母親をかみ殺し、次々に人々を襲いはじめる。
私は今回はじめて「黒執事」を知った。調べてみるとアニメ版「黒執事」は深夜枠で放送されていたらしい。しかし本質部分を見れば、本作は深夜アニメというよりも「名探偵コナン」のような昔ながらの子供向けアニメに寄っている。冗談にしろドラマにしろ、大人が観るには物足りない。
「黒執事」が大人の女性に人気の理由は、類似のアニメがないからである。私は今年から深夜アニメを観はじめたが、作品の多様性と質の高さには驚かされる。私が若かった頃はアニメといえば子供向けであり、基本的に、大人の鑑賞に堪えうるものではなかった。そのときから考えれば、今は夢のような時代といえる。しかしそんな深夜枠にも多少の難点はあって、それは女性やLGBTが楽しめる作品が少ないことだ。男性に萌え願望があるように、女性には守ってほしい願望があるだろうし、LGBTには普通に恋愛したい願望があるだろう。「黒執事」は大人向けとしては不十分だが、原作者は見落とされていた需要の一部を見事にすくい上げた。
正直なところ、本作の冒頭でカンパニア号を見たときは憂鬱であった。いくら豪華客船とはいえ、船内は閉塞感があり景色もたかがしれている。だからアガサ・クリスティーのようによっぽど上手く書かないかぎり、まともな作品にはなりにくい。
そんな船上で敵として現れるのはゾンビの大群である。しかしセバスチャンたちが強すぎて、ゾンビに襲われる恐怖はほとんど感じられない。またゾンビはみな色が同じな上、人格のない物のような存在だ。そんなゾンビをセバスチャンたちが片付けていく姿は、工場の流れ作業員さながらである。
セバスチャンが死神派遣協会回収課のグレル・サトクリフ(=福山潤)やロナルド・ノックス(=KENN)と戦う場面にも緊迫感がまるでない。それはどこか、アンパンマン対バイキンマンに似ている。
サトクリフについて2点ほど指摘しておく。まずノックスの武器が芝刈り機というのは機能的に納得がいくけれど、サトクリフの武器がチェーンソーというのは悪役の武器としてあからさますぎる。チェーンソーを見た私は、昨年末に話題になったユーチューバーを思い出してしまった。それから、サトクリフの歯を大きくギザギザにしたのも極端だ。バイキンマンをモデルにした、と言われると反論しにくいのだが、あそこまでやってしまうと作り物感が強すぎて、よほどのファンでなければ付いていけない。
本作ではリジーに関する意外な展開が用意されている。ただしそれに付随する回想は、リジーの動作中に入れるには少々長すぎた。本作はドラマ性の欠落をここで補おうとしたが、本作の方法ではいかにも人工的に移植したようで不自然だ。もしリジーの動きが一段落したときに始めていれば、だいぶ印象は違ったと思う。またそうしても、この優れた回想ならば十分に劇的ではなかったか。
セバスチャンの「シネマティックレコード」に関しても同様である。回想や「レコード」を補助的に用いるのはよいが、やはり主役となるべきは目の前のドラマだろう。本作の場合、回想と「レコード」がドラマの全てになってしまっている。せっかくの豪華客船をゾンビにだけ使わせておくのはもったいない。
その後のセバスチャンの扱いには首をかしげた。いくらセバスチャンが悪魔とはいえ、なんでもありの描き方では観客も泣きたくなる。ここまで来るのにすでに1時間以上本作に付き合っているのだから、その努力に報いてほしかった。
またそもそも、怪我をしたセシルがセバスチャンに同行したのは不可思議だ。強力な魔法でも使えるのなら話は別だが、本作を観る限りでは作者のご都合主義としか思えない。
こうした問題の一部は、連載漫画をそのまま映画化したことにより生じている。映画は高い完成度が求められるから、漫画家が締め切りに合わせて必死に書いた原稿では、大抵の場合、力不足だ。
私が観たのは公開から10日後の午前中だったが、小スクリーンに客はそこそこ入っていた。特に印象的だったのは、横に若い女性2人組が座っていたことだ。いずれにしても、今はまだ大人の女性が楽しめるアニメが少ない。同分野でより高水準の作品が出てくることを期待する。
ちなみに、エンドクレジッツ終了後に一場面待っている。これは本編の一部とも言える内容だから、我慢して座っていた方が良いと思う。
本作は全体的に内容の吟味されていない大味な作品だ。漫画やTVアニメからの支持者は別として、一般には映画館で観ることは薦めない。
原作 枢やな『黒執事』 監督 阿部記之 声 小野大輔、坂本真綾、田村ゆかり、諏訪部順一、福山潤、KENN、杉山紀彰、寺島拓篤、東地宏樹、梶裕貴、加藤英美里、木村良平、前野智昭、山下誠一郎、田中敦子、中田譲治、鈴木達央、石川界人、ほか
1時間40分