木を植えた男 30点

「木を植えた男」は、絵はフランス風で美しいが、宗教色が強く、フィクションとは思えないほど説教臭い。

人々を深く思いやる優れた人格者の行いは、長い年月をかけ初めて世に知られる。それは見るも確かな証を地上に記し、後の世の人々にあまねく恵みを施す  。今から何十年も昔、たしか1913年のこと。青年は、フランス、プロヴァンス地方の、並の旅人なら足も踏み入れぬような山脈を、若い足に任せて突き進んでいた。海抜1300メートルほどのそのあたり、わずかなラベンダーが生えるばかりの、草木もまばらな荒れ地だった。青年が3日ほど歩き続けると、見るも無惨な廃墟が現れた。その見捨てられた村の片隅にひとまずテントを張ろうと決めたが、前の晩から水筒の水がなくなっていた。スズメバチの古い巣のように寄り集まった家々のどこかには、泉か井戸が残っているように思われた。調べてみると、確かに1つ泉が見つかったが、水は涸れていた。それは6月のある晴れた日で、日差しは身を焦がすほどに降り注ぎ、風は身を倒すほどに吹きすさんだ。やむなく、青年はそこでのキャンプをあきらめた。さらに歩き続けること5時間あまり。水は見つからず、どこまでも枯れ野が続いた。ところがふと見渡すと、遙か彼方に小さな黒い影が見えた。それは1本の木かと思われたが、ともかくそれに向かって歩いていった。

本書は、荒野に種を植え続けたブフィエという男の話である。ひねりのない筋書きだから、実話に題材を取ったのかと思われたが、実は全くのフィクションとのことだ。本書の卓越した点は、なんといっても巧みな風景描写である。前半では荒野がいかに荒み厳しい状況に置かれているかを徹底的に伝え、中盤ではそこにカシワの木々が根を張る姿がみずみずしく描き出される。また森林が広がる過程においては、四季折々の草木の様子を楽しむことが出来る。

話の内容からすると、本書はとても自然で素直な感じがする。ただ問題は、私たちが聖書における奇跡を目撃したかのように、くどくどと説明してくることだ。まず本書の書き出しは、キリスト教の説教のようである。さらに後半になると、ブフィエを神のようにたたえる言葉が現れる。例えば

「神のみわざにもひとしい偉業をなしとげることができるとは」

「神の苦しみは神のみぞ知る」

「まさにかれは、神につかわされた闘技者だった」

「神の行いにもひとしい創造をなしとげた」

などである。このほかにも、「ブフィエ氏に感謝しなければならぬ」、とか、「かぎりない敬意を抱かずにはいられない」、などと、ブフィエの崇高さを讃える文が多く見られる。ただ、こうした語りかけは説教臭く、押しつけがましい。作者はブフィエの生き方を描くことによって読者に思いを伝えればよかったのであり、いちいち言葉にして書くとくどいのだ。しかも本書はフィクションだから、そのなかに説教を入れることにどれだけの意味があっただろう。

それ以外にもいくつか引っ掛かる点がある。中盤で青年を第一次世界大戦で5年間拘束したのは、話の展開上やむを得なかったのかもしれない。ただ、1913年に青年がブフィエにはじめて出会うという設定は、極端に都合がよすぎた。またブフィエの心情について書かれた部分があるが、ここも青年の主観によるくどくどとした説明が主になっている。後半の「3人仲よくパンを分けあ」うところなどは聖書の一場面のようであり、好き嫌いが分かれるだろう。

本書はすこしくどい解説付きの聖書のような作品だ。もし気になるなら、図書館で手に取ってみればよいだろう。

文 ジャン・ジオノ  絵 フレデリック・バック  訳 寺岡襄

48頁 文字数多い 簡単な漢字を除いてふりがな付き

第13回絵本にっぽん賞特別賞

スポンサーリンク
面白い映画のレクタングル(大)
面白い映画のレクタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
面白い映画のレクタングル(大)