「100万回生きたねこ」は構成に優れた作品である。
100万年も死なない猫がいた。100万回も死んで、100万回も生きたのだ。立派なトラ猫だった。100万人の人が猫をかわいがり、100万人の人が猫が死んだとき泣いた。猫は1回も泣かなかった。あるとき、猫は王様の猫だった。猫は王様なんか嫌いだった。王様は戦争が上手で、いつも戦争をしていた。そして、猫を立派なかごに入れて、戦争に連れていった。ある日、猫は飛んできた矢に当たって死んでしまった。王様は戦いの真っ最中に猫を抱いて泣いた。戦争をやめて城に帰ってきて、城の庭に猫を埋めた。
本書は最初から衝撃的だ。第1文で「100万年も死なない」と言ったのに、第2文では「100万回も死んで、100万回も生きた」と前言を覆すようなことを書いている。もちろんこれは「死ぬ」の定義の問題にすぎないが、思わず、死んだの?死んでないの?どっち!?と突っ込みたくなってしまう。また「100万年」という期間も面白い。人類の祖先がアフリカを出て世界に広がったのは、今から6、7万年前らしい。だから猫が最初に生まれたのは、人類の出アフリカより実に90万年以上も前なのだ。
参考 テルモ生命科学芸術財団のページ→ DNAで探る日本人のルーツ
本書の構成は実に見事だ。前半で猫は、何度死んでも生き返らせられる。これは猫にとってなかば拷問のような設定だが、ここでたまったエネルギーが、最後の場面で感動を呼び起こす。絵も話の流れに上手く沿っている。前半で描かれた猫はとてもふてぶてしい表情をしているが、それを散々見せられているからこそ、結末における猫の姿に本気を感じることができるのだ。
ただ本書には違和感のある箇所もある。猫が矢に当たって死んでしまうと、王様は戦争をやめて城に帰る。しかしそれほど猫の命が大切ならば、猫を戦場には連れていかないだろう。それに、君主が臣下の命よりも猫の埋葬を重く見ているというのは、やはり違和感がある。また中盤で泥棒が登場するが、盗みの手口は不自然だ。泥棒にとって盗みに入った家で犬に吠えられることはやっかいだろう。だから泥棒がわざわざ犬のいる家に入るのはおかしいし、猫を使ったところで問題は解決しない。犬を絡ませるにしても、もう少し自然な流れにしたかった。
本書は完成度の高い作品だが、後半の展開はあと一歩だ。猫は最終的に成仏することができるが、その原因は結局のところ生殖にある。真実の愛とはいっても、猫は人を愛するわけではないし、ほかの雄猫を愛するわけでもない。もちろん、生物が生きる唯一の目的は子孫を残すことである。しかしそれ以外のことにも希望を見いだせれば、本書はさらなる名作になっただろう。
本書は、価値観が少し古典的だけれども、上手く書けている。購入してもよいと思う。
作 佐野洋子
31頁 文字数普通 全文字ふりがな付き