「スモーキーナイト」は話としてはさほど面白くないが、米国における人種や移民の問題について学べる貴重な絵本である。
アフリカ系の母親と男の子は、窓の影から外の様子をじっとうかがっている。男の子の腕の中では、猫のジャスミンが震えている。アパートの下の通りで、先ほどから暴動が始まった。母親は言う。人はあんまり腹が立つと、どうしようもなく何かをぶつけたり、こわしたくなるだろ、でもそうやっているうちに、何が正しくて何が間違っているかなんてどうでもよくなるのさ、終いには、こんな暴動なんてことを起こしちまうんだよ。アパートの下では、店のウィンドウ、車、街路灯、手当たり次第に物が壊されていく。2人組がモートン電機店からテレビを運びだそうとするが、重くて手こずっている。男の子がよく見ると、2人組はまだ子供だった。ファッション靴店のショーウィンドウが壊され、女が2人と男が1人、割れたガラス窓をくぐり抜けて店の中へ入り込む。それから、まるでフットボールでもしているみたいに、靴を外へ放り投げはじめた。男の子は、信じられない、なんて笑い声なんだろう、と驚く。
本書では見開き左頁に文字が、右頁に絵が載せられている。左頁ではアート作品の上に紙が敷かれおり、その上に文字を乗せる形をとっている。文字が乗せられる紙は、最初は白く真っ直ぐなのだが、暴動が過熱すると色が付いてしわが寄る。それに加えて、背景のアートも派手で奇抜になるから、文字はかなり読みにくくなる。この仕組みによって、私たちは目をちかちかさせながら、苦労して文章を読み進めることになり、暴動によって生じた混乱の雰囲気を感じることができる。一方、右頁に載せられた絵は、マティスの作品に濃い絵の具を塗り重ねて出来たような趣がある。これもかなり強烈でアクが強く、独特の世界観を作り出している。
本書はロサンゼルスで実際に起きた暴動事件に着想を得て書かれたものであり、暴動の起こった経緯は訳者によるあとがきに詳しく述べられている。不正に反対してデモを行っていた人たちが、次第に暴徒化して、やがて裁判所や議会を襲撃する、という話の流れは、一応自然なものだ。ただ、本書でも描かれるように、こういったデモはしばしば、店からの盗みだったり、建物への放火、もっとひどい場合は、デモの原因とは無関係な警察官の殺害などに発展する。こうした不祥事はデモの正当性を根本から揺るがすものであり、なぜ起こってしまうのか不可解だ。しかしながら、私が肉体労働に従事した際実感したのは、人はおおよそ使う側と使われる側に分かれているということだ。例えば、もしあなたに住む家がないなら、足下を見られて、住み込みの、非常にきつい低賃金の仕事に従事させられる。これはもちろん自由意思ですることだが、もしお金がなければ、選択の余地はない。そして、使われる側の人たちは、低賃金だから、いつまでたっても貯金が増えず、なかなか貧困から抜け出せない。一方、この資本主義の制度によって恩恵を受けるのは、物やサービスを安く購入できる、使う側の人たちなのだ。こういった事情は使われる側の人たちも十分に心得ており、彼らはいつもやり場のない強い怒りを抱えている。
本書ではヨーロッパ系対アフリカ系の構図に加えて、アフリカ系がアジア系に対して抱く感情についても描かれる。男の子の家の向かいには韓国系のキムの店があるのだが、男の子と母親は、一度もキムの店で買い物をしたことがない。母親は、同じ人種の人の店で買った方が良い、と男の子に言っている。作者は、デモに平行して一家とキムの交流を描いたことにより、道徳的教訓を授け、オチも上手く付けた。ただ、本書の結末はおきまりのもので、新鮮さはなく、やや説教臭くも感じる。本書のあとがきでは韓国系移民の立場についても触れられており、参考になるだろう。
本書は、話は単純で物足りないが、絵本としての雰囲気は良く、教材としても活用できる。ぜひ図書館で借りて読んでみたい。
31頁 文字数多い 全文字ふりがな付き
1995年コールデコット賞