エルメスの歴史~スカーフ、ケリー、バーキン、時計から買収劇まで~

ななぞうがエルメスと聞いてまず思い出すのは、近年LVMH(=モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)との間で繰り広げられた長期にわたる買収戦争です。

また本業の方に目を向けると、エルメスは値段の高い服飾雑貨を販売している印象があります。しかし残念なことに、ななぞうはあまりお金に縁がないため、身の回りを見渡してもエルメスを含むブランド品は一切ありません。そのため、エルメスの何が良いのか悪いのかと尋ねられても、判断のしようがないのが現状です。しまむらで売っていれば調査したのですが…。

ところで、エルメスはどのようにして発展してきたのでしょうか。ななぞうはエルメスがもともとは馬具屋だったという噂を聞いたことがあったものの、詳しいことは知りませんでした。

そこで今回はとりあえず手に入った『エルメスの道(竹宮惠子、中央公論新社)』と『エルメス(戸矢理衣奈、新潮社)』を中心に、ネットの情報で補強しつつ、エルメスの歴史についてまとめていきたいと思います。

エルメスができるまで

エルメスの創業者ティエリ・エルメスは、1801年、現在のドイツ、クレフェルドに生まれました。

1562年フランスにおいて始まったユグノー戦争は、36年あまり後の1598年、アンリ4世が発したナントの勅令により、ようやく終結します。しかしその内容はユグノーに信仰、政治の自由を認めるものであったため、のちのちまでカトリックとユグノーの間に禍根を残すこととなります。

1661年に宰相のマザランが死去すると、ルイ14世は親政を宣言します。ユグノーを敵視していたルイ14世は、それまでに出されていた勅令の条文のいくつかを無視するようになります。さらに最終的にはフォンテーヌブローの勅令を発し、ナントの勅令を含む過去の勅令は正式に破棄、プロテスタントは非合法化されました。

これにより多くのユグノーがフランス国外へ流出することとなりましたが、ティエリの祖父もそんなユグノーの1人でした。クレフェルドはユグノーの主要な避難先の一つになっていたのです。

1801年当時のクレフェルドはナポレオン1世によってフランス領となっていたため、ティエリはフランス国籍を持って生まれました。

ティエリの父はクレフェルドにおいて酒場を営んでいたといいます。

13歳になったティエリはハーネス屋の見習いとなるため、500kmの道のりを徒歩でパリへと向かいました。

この時代は馬具製造業の最盛期であり、馬具作りの職人は他業の職人に比べて2倍から3倍も稼げたとのことです。

パリに来てから14年が経ち、27歳となったある日、ティエリはピエラールという帽子屋にくつわを届けることになりました。そこで店番をしていたピエラールの娘、クリスティーヌと出会い、2人は結婚します。

1年後には長男のアンリが、3年後には次男のシャルルが誕生しました。

そのころティエリは30歳で、すでに一級の職人となっており、今の店では学ぶことがなくなっていました。そこでハーネス職人としてのさらなる向上と、鞍作りなどの新たな技術、知識の習得のため、ノルマンディー海峡近くのポントードメールに移り住むことを決意します。ポントードメールには、産業革命の影響でより高度な技術を持つイギリス人たちが多く住んでいました。

当時はハーネス屋よりも鞍屋の方が格が上だったそうです。

ポントードメールで5年ほど研鑽を積むと、ティエリは家族と共に再びパリへ戻ってきます。そして馬車の行きかうグラン・ブルヴァールの終点、マドレーヌ寺院付近の、バス・デュ・ランパールに下請けの店を構えました。1837年、エルメスの創業です。

下請けのハーネス屋から馬具の製造小売業者に

ティエリの作るハーネスは馬に優しいと評判になり、取引先は自然と増えていきました。

さらに1852年にナポレオン3世が即位すると、ティエリは皇帝御用達のハーネス職人となります。

また次男のシャルルがティエリの後継者となり、ハーネス作りや商談を担当しました。

一方、ティエリは本業の傍ら鞍作りにも励んでいました。知り合いたちに提供した鞍の試作品は上々の評価を得ます。

1867年、エルメスが2度目のパリ万国博覧会に女性用の鞍を出品すると、鞍は銀メダルを獲得しました。これによりエルメスの名はフランス全土に知れ渡りますが、慎重なティエリは銀メダルでは不十分だと考え、鞍屋の開業は先送りとなりました。

ティエリはその後も熱心に仕事を続け、1878年1月、77歳で生涯を閉じます。このときシャルルの長男アドルフは14歳で、すでに工房に入っており、次男のエミールはまだ3歳でした。また長女のジャーヌは6歳、アリーヌは4歳でした。

その3ヶ月後には3度目のパリ万国博覧会が開催されます。そしてついに、エルメスが出品した鞍は金賞に輝きました。

シャルルは鞍の受賞に励まされ、店をフォーブル・サントノーレ街24番地へと移します。ここはシャンゼリゼのすぐ裏手にあり、近くには銀行家のロスチャイルドやペレルが住んでいました。

ペレルは19世紀にフランスで活躍した銀行家です→
https://en.wikipedia.org/wiki/P%C3%A9reire_brothers

このときエルメスはようやく鞍の製造・販売を開始します。店頭には馬具だけでなく、工房で製作された手袋や鞄も並べられました。開店すると店は連日混雑し、新製品は貴婦人たちの間で話題になったそうです。

馬具屋から服飾雑貨屋に

以下は明日以降に更新します。

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